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語り手: 金井真介 (ダイアログ・イン・ザ・ダーク ジャパン 代表)
聞き手: 土岐小百合
■ダイアログ・イン・ザ・ダークとどうやって出会われましたか?
私は。1993年4月27日、なにげなく目をとおした日本経済新聞に以下のような小さなウイーン発の記事に目がとまりました。その時の衝撃は、今でも鮮明に覚えています。これは、基本的でありながらとても未来的なプロジェクトだと感じました。
ウィーン発・博物館で闇の世界体験。
ウィーンの自然誌博物館で開催中の「闇の中の対話」と題する特別展が、人気を集めている。日常生活を取り巻くさまざまな環境を織り込んだ真っ暗な会場を回ることで、盲人の世界を体験してもらおういう珍しい展覧会だ。展示会に使われている博物館の3室には、全く光がない。その中を盲人の誘導に助けられながら、盲人用の杖を頼りに歩きはじめると、色々な場面に出会う。道路交通の雑音や小川の流れる音を聴き、石畳や芝生、砂などの感覚の違いを足の裏で感じ、階段、橋を注意深く超え、石像や、市場の屋台に並ぶ野菜を手で触る。最後には、真っ暗なバーで、一杯やりながら感想を語り合う。聞かれるのは、視覚を失うことへの戸惑い、他の感覚が突然敏感になることを自負しながら、盲人の世界の深さを知ることへの驚きだ。案内役のサエルベルグさんは、「私たちは、車窓から景色を見ることが出来ないが、感じることはできる。」という。展覧会を体験するとその感覚を実感できるようになる。この企画は、ドイツ盲人協会のハイネッケ博士のアイディア。ウィーンでは、すでに最終日までのチケットが売り切れているが、その後、ブリュセル、パリでも開催される。主催者は、各地の盲人の協力を得て、日本を含めた世界各国を回るのが目標だ。
「日本経済新聞 夕刊 トピックスより」1993年4月27日
■いま、どうしてダイアログ・イン・ザ・ダークなのでしょうか?
わたしたちは、普段、視覚中心の生活をしています。しかし、本当にみえているのか、なんも頼りない感じです。たとえば、さっきあったひとの服の色さえ思い出せません。ただ、みて、勝手に頭で理解しているような錯覚を持っていることが多い気がします。中世のヨーロッパでは、聴覚、触覚、視覚という順に重要だったといいます。いま、視覚だけがその他の感覚と独立して重視されたため、感覚全体の麻痺や、感覚の封鎖が起きています。頭でわかるのではなく、一度、身体知といいますか、身体の感覚を戻し自分なりの五感のバランスいい状態に組み直すことが必要ではないでしょうか。
感覚機能の中で一番大きい比率をしめている、視覚を遮断してみると、他の感覚機能へ集中することが出来ます。たとえば、何かを集中して聴きとりたいときには、目を閉じますよね。それとともに、各感覚器官の閾値を下げることができます。耳から絶えず音が聞こえているのにもかかわらず、なにか自分にとって、なんら関係ない音は聞こえていても、きこえません。それは、ある閾値によってそれを越えない音は、聞こえないからです。ただ、自分の生命に危険が感じられる音だと、集中していなくても、きこえます。車の急ブレーキとか、ボールがガラスに当たって割れる音とか。
また、目を閉じて、視覚情報を閉じると、その情報を処理する脳の能力がその分、空くので他の感覚情報処理が、高速で行われはじめます。こうしたことを、無意識に毎日できれば、なんら問題はなく、自分の五感のバランスが保たれますが、どうしても日常でわざわざ目を閉じることは、なかなか出来ません。そんな時代だからこそ、まっくらな空間をわざわざ都市空間につくるのです。
■アテンドに視覚に障害のあるかたがつきますね。
ただ、急にまっくらな中に入りますと、他の感覚に集中するまえに、すべての機能が一時的に混乱します。その混乱から、次の視覚情報の無い感覚機能だけのバランスになるには、一人では無理です。そこで、視覚情報以外の感覚機能で日常生活をされている視覚に障害をもつかたに、そのくらやみのなかを誘導してもらうと、そのきっかけになります。
ただ、この障害という言葉は、正確ではありません。もともと、わたしが、空を飛べないからとか、そして海深くに潜れないからということを障害とよびませんよね。それと同じで、もともと視覚の無い状態のかたには、別に空を飛べないのと同様に地上で生活することが普通なのだと思います。
これとて私の想像ですから、正解かどうかはわかりません。
このプロジェクトは、健常者と視覚障害者、どちらかが一方的に助けるという行為ではありません。お互いさま、どちらのためにもなる関係を作るきっかけになる可能性があります。
たとえば、「どうして参加者は、暗いというだけで怖いんでしょうか?」「本当に動けないんですね。こんなことの何がそんなに驚くことなんでしょうか?」など立場の違う同士が、普段と逆の立場で出会い、お互い境目なく、話すことが出来るのです。
テレビが発達し、ネットが登場するとコミュニケーションは、メールに代表されるように実体のないものになりがちです。そうしたことから、大局にあるのがこのDIDだといえます。また、数値では計り知れない状態を職人は、長年の経験と感で、測定器よりもある意味で正確に判断することが出来ます。トレーニングすれば、職人以外の方でも、その可能性があることが、このまっくらな中で、感じられます。
手も見えないぐらいのまっくらは、普段の生活ではなかなか、体験することが出来ません。
特に日本の都市化は、コンビニエンスストアに代表さえるように照度をアップすることを重点に進められたからです。宇宙から映した夜の日本列島は、つねに輝いています。こうした明るく輝くしかけは、ほとんど海外からのエネルギーの供給に頼っているのが現状です。手の先が見えないと、どこまでが自分かが、わからなくなります。当然、手の届く範囲、足の届く範囲しかわからず、頭の上は、どうなっているのか?この先はどうなっているのかわからないことが、わかります。
■ はじめてこのプロジェクトを体験したときは、どうでしたか?
ローマで体験したときは、「すごい!」と驚きのひとことです。私の場合には、不幸にもこのコンセプトを事前に知っていましたので、ある意味でわかって入りました。しかし、アテンドのかたが、視覚に障害をもつ人だとは、信じられなくて、暗視メガネをしたひとが、オペレーションされているのだという感じがしました。それだけ、的確ですし、その中での動きのスピードが信じられないくらい速いのです。
同じような驚きを日本で感じたことがあります。以前から、満月の夜にフルムーン・パーティを開催しています。そこにアテンドとして協力してくれている友人の脇水哲郎さんも時々参加してくれます。彼はいわゆる先天性の全盲の人です。そしていつも驚くことは、「ここの会場は、広さも質感も良い感じですね。」そして「今日は20人ほど、参加者も若いしいいですね。」などという彼の感想の的確さです。その会場は、彼にとっては、当然はじめてですし、全員を紹介したわけでもありません。でも、彼には感じられるのです。
■ハイネッケさんは、どんなかたですか?
ハイネッケは、とても優しい人でした。なんども、開催したいとリクエストし、その度に中止になる日本の現状に怒りを覚えるのは当然です。どうして、やらないの?どうしてできないのと。常に問い掛けてきました。それでも、新しいことをするには、当然、壁があるし、特に日本は、多くの障壁があるようだと理解してくれました。
彼は、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」の世界が日本にあることで、安心していたようでした。闇という漢字は、門構えのむこうのほうの暗やみから、音が聞こえてくる状態であることも理解しています。
彼は、ダイアログ・イン・ザ・ダークを開催するときには、アテンドの教育を徹底的にします。それは、教育というよりももっと、アテンドの立場に立って、彼らと一緒に作り上げながら楽しくやっています。いろんなトラブルもすべてゆっくりと解決しようとしています。「真介、必ずいつか、できる日がくるよ。日本が特別だといいっても、同じ人間が住んでいるのだもの。きっと、同じことを感じるよ。」と
ドイツの彼の自宅近くにある林を歩きながら、こんな話をしました。いつか、世界中のこれを開催した人たちをここに呼んでミーティングするんだと近くの古城にも案内してくれました。
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